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昭和55年3月 八ヶ岳にて
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我々の年代以上の岳人ならば、若いときに必ず一度はお世話になったことと思う巨大ザック。
帆布製のただの大きな袋に背負い紐と巨大なポケット(これはドイツ語でタッシュと呼ぶのが常であった)をつけたもので、片側のタッシュだけで小型のアタックザックくらいの容量がある。ウエストベルトも何もついていなくてバックレングスも何もあったモンじゃあない。自らのパッキングテクニックで背負いやすくも背負いにくくもあるといった代物。
こいつは使い手が未熟だときちんと背負って歩くことすらできないというもので今では使う人もまれである。ごくたまに好き者が背負っているのを見かけるくらいである。
パッキングに職人的熟練が必要で、これができないと死ぬほどの苦痛を文字通り「背負う」ことになるので、山歴が長いほど自動的にパッキングが上手になっていき、そのパッキングを見ただけでどれだけ山慣れしているかがわかったものであった。パッキング下手の代表格は「団子」と呼ばれ、パッキング後の姿が球状になっていて後ろに引かれているというものであった。「片荷」と呼ばれるのも恐ろしかった。キスリングは横に長いので重心を取るのが難しく、片側に重心が寄ってしまうと、疲れるだけでなくバランスを崩しやすかったり見た目も傾いていてみっともないという有様となる。
上級者になればなるほど全体的に薄く形良くパッキングができたもので、高校時代にぺらっぺらのキスリングを背負った単独後者を上高地で見たときにはかっこいいと感動したものであった。
パッキング作業は背負いやすさを考えながら重心を取り、横へ横へと詰めてザックを広げながらパッキングしていく。背中に当たる部分にもパッドなどという余分な物がついていないのでテント用のマットやら柔らかい物を詰めないと痛いだけでなくザックずれがひどいことになる。風呂の床に敷く分厚いマットを入れる人もいたが、自分は時々折りたたみ式のマットを入れていた。
巨大な装備も上に結びつけて担ぐことができるという恐ろしさ。
時にはキスリングを2段にして持ったこともあった。
また、目立つ部分には所属する部や会の名前を書くことが一般的で、部なり会なりの看板を背負って歩くことになるので…。
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昭和59年1月、山岳部主将時代
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うまくパッキングできないと疲れるだけでなく、ザックずれで背中(ザックの背中でなく人間の背中!)に穴が開いたり、ザック麻痺と呼ばれる腕の障害が残ったりという誠に非人道的な道具で、今の新人にこんなものを使わせたら虐待だとが拷問だとか呼ばれることになるに違いない。
東京あたりだと御徒町の片桐で誂えてもらうのがステータスであった。自分も大学時代これを使っていたが、高校時代から使っていた安物と違ってやはり背負いやすかった。今手元に残っているのは安物の方である。もったいないことをした。
京都の鞄で有名な一澤帆布も元はキスリング屋。水道橋のさかいやスポーツもキスリングを得意にしていた。新宿の今はなきアイガースポーツでは強力75とか、ジョーカー80とかサイズ別に愛称がついていた。このサイズ表示の数字はリットルではない。リットル数でいうと100リットルを遙かに超えている。何かというと、たたんだときの口幅をセンチで表したもので、72センチとか80センチとか呼んでいた。自分のは72cm。片桐の方はそれより一回り大きかったので80cmくらいではなかったろうか。
こいつはただの帆布の袋なので防水もへったくれもない。雨が降ると行動した時間の分だけ水を吸い込んで重くなっていくのが当然で、それを嫌う人は蝋をガソリンで溶かして塗り込み、防水などしていたが、雨の日はみんなそういうものだと思って使っていた。
ザックカバーなどという無用な物はなかった。あっても巨大すぎてかさばるし、キスリングはその荷物の量に応じて大きさが変わるという特性で大きさが特定できない。中のものは当然防水してパッキングしてあるので改めて防水の必要はない。(今でも当然同じなので高い金を出してまでザックカバーを買う必要はない。吸水性のないナイロン製のザックには更に無用だと思う)
新品のキスリングは痛い。なれるまでは生地が硬くシャツはぼろぼろになり、色落ちして服が使えなくなる。背負いひももばりばりなので下ろして背負うたびに腕がすれ、最後には出血する。本当に非人道的な道具であると今考えると思うが、それだけして使っていたので愛着も一塩である。
横幅が広いので車輌感覚がつかめるまでは岩や木に引っかかり歩きにくいことこの上なくバランス感覚が鍛えられた。
H19.6.29
北海道カニ族
背負子
鳩目